大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和50年(ネ)2399号 判決 1979年4月16日

控訴人

三浦一峰

右訴訟代理人

萩沢清彦

内藤義憲

被控訴人

右代表者法務大臣

古井喜実

右指定代理人

遠藤きみ

外五名

主文

一  原判決を取り消す。

二  被控訴人は、控訴人に対し、金二四六五万八四九六円及び内金一九五七万六四〇六円に対する昭和四三年九月二五日から、内金五〇八万二〇九〇円に対する昭和五一年二月五日から各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

三  控訴人のその余の請求を棄却する。

四  訴訟の総費用(第一審、差戻前及び後の控訴審並びに上告審)は、これを三分し、その二を被控訴人の負担とし、その余を控訴人の負担とする。

五  この判決は、第二項に限り、仮に執行することができる。

事実《省略》

理由

一控訴人(<証拠>によれば、昭和二七年一月二〇日生であることが認められる。)が昭和三〇年九月六日化膿性髄膜炎のため被控訴人の経営する東京大学医学部附属病院(以下「本件病院」という。)小児科に入院し、同病院に勤務し被控訴人の被用者である医師時田源一、同福田保俊の治療を受けたこと、福田医師が、同月一七日、控訴人に対し、腰椎穿刺(ルンバールプンクチオン、以下、「ルンバール」といい、福田医師が同日控訴人に施行したものを「本件ルンバール」という。)を施し、その後控訴人が嘔吐、けいれんの発作等(以下「本件発作」という。)を起し、以後引続き同病院で治療を続けたが、同年一一月二日右半身のけいれん性不全麻痺、性格障害、知能障害及び運動障害等を残した欠損治癒の状態で同病院を退院したこと、退院後も控訴人は諸種の治療に努めたが現在においても知能障害、運動障害等が残つている状態(その程度については争いがある)にあること、は当事者間に争いがない。

二本件ルンバールと本件発作との因果関係について

当裁判所は、控訴人の本件発作とその後の病変の原因は脳出血によるものであり、右脳出血は本件ルンバールによつて生じたものであると考える。その理由は、次に付加、訂正するほか、原判決二二枚目裏六行目から同四二枚目表三行目までと同一であるからこれを引用する。

同二三枚目表一行目の「証人時田源一」の次に「(第二回)」を、同一行目から二行目の「同福田保俊」の次に「(第一回)」を、同六行目の「福山幸夫」の次に「当審 差戻前)証人高橋徳子、同福田保俊」を各挿入する。

同二六枚目裏二行目の「一六日」から同三行目の「軽快し、」までを「同日の髄液所見も軽快し一六日には熱も三七度前後となり、」に改める。

同二八枚目裏二行目から同二九枚目裏一〇行目までを、本判決理由三の(一)の(11)のとおり改める。

同三三枚目表二行目の「同日」を「九月一七日」に、同裏三行目」の「同日」を「同月二六日」に、同三九枚目表一〇行目の「末だ」を「未だ」に、同四〇枚目裏七行目の「ことを」を「ことと」に、同四一枚目表四行目及び同裏九行目の各「証人福田保俊」をいずれも「原審(第一ないし第三回)及び当審(差戻前)証人福田保俊」にそれぞれ改め、同四一枚目表四行目の「同時田源一」の次に「(第一、二回)」を加える。

三医師らの過失―特に本件ルンバール施行上の過失―について

(一) 前記二において引用した原判決の認定事実に、<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

(1)  ルンバールは、病気の診断ないし病状の経過を知る目的で行う場合、抗生物質の髄腔内注入などの治療目的のために行う場合、右両目的を兼ねて行う場合があるが、本件ルンバールは、もつぱらペニシリン五万単位を控訴人の髄腔内に注入するという治療目的のために行われたもので、その際右注入に先立ち控訴人の髄液二CCが採取されたが、右は注入量と同量の髄液を排液したもので、右採取髄液については特に検査等はしないで廃棄した。

(2)  化膿性髄膜炎の治療には抗生物質であるペニシリンの大量投与が不可欠であり、またペニシリンは血液中や筋肉等に注射した場合髄液中に移行しにくく、髄液腔中に直接注入したものは同腔中に比較的高い濃度で長時間存在することが研究上明らかにされており、右のようなことから軽症の場合はともかく重篤な化膿性髄膜炎の場合には、ルンバールによるペニシリンの髄腔内注入が最も有効な治療法とされている。

(3)  一方、ルンバールを実施する際の危険性の判定(禁忌事項)としては、

(イ) 脳腫瘍、著しい脳浮腫などにより頭蓋内の容積が増して持続的に脳内圧が高まっているとき、及び、腫瘍で髄液の流通路に閉塞がある場合などはルンバールを行わないか、不可欠ならば髄液の採取を最少限に止める。これは、多量の髄液を採取することによつて、頭蓋腔と脊髄腔の間に圧の差を生じ、脳が下方に牽引されて脳幹を圧迫するため、呼吸障害、四肢麻痺などを来たし、生命に危険を生ずる可能性が知られているためである。

(ロ) 出血しやすく、かつ止血しにくい全身性疾患、例えば血友病、紫斑病などがある場合はできるだけルンバールは行わない。また近い過去に頭蓋内に出血があつた場合、一旦止血していても再出血を誘発する危険がある。やむをえず行う場合には、輸血などを事前に行い、出血性の素因を軽減するなどの処置後に行う。

(ハ) 全身的に細菌の播布(敗血症)がある場合は、針を刺入することにより髄腔に細菌を入れることになり化膿性髄膜炎を誘発する危険性があるといわれている。このような場合になおルンバールを行う必要があるときは、細菌感染に対する十分な治療を併行しつつ実施すべきである。

(4)  また、ルンバール施行後には、ルンバールに併う福作用ないし合併症として、しばしば、頭痛、悪心、嘔吐、発熱、刺激による軽度の細胞数の増多、髄膜症、低髄液圧症候群、静脈叢損傷による髄液腔内の出血、脊髄神経根穿通などによる神経根痛、一般的な腰痛、脊椎椎間板損傷による腰痛などの発現がみられる(右(3)、(4)に述べたところと関連すると思われるが、重篤な化膿性髄膜炎にルンバールによるペニシリンの髄腔内注入を有効な治療法と認める糸賀鑑定人も「軽症をも含めて一様に化膿性脳膜炎の治療にペニシリン髄液腔内注入療法を行う必要があるかどうかに関しては小児科学者が全く一致した見解をもつているわけではない。」といつている。)。

(5)  ルンバールの実施に当つて注意すべき事項は、一般に、

(イ) 器具、針を刺す局所付近の皮膚、施行する医師の手指などの消毒を十分に行うこと、

(ロ) 脊椎骨の間を通つて脊髄腔に針が安全に達するよう患者を好しい位置に保持し、かつ術中動かないよう患者をしつかり固定すること、

特に乳幼児の場合は、施術に協力が得られず、激しく泣き叫び暴れたりするので、二、三名の看護婦が固定に当るか、包帯などで全身を巻き完全に動けないように固定する必要がある。なお、施術はかなりの痛苦(針の中に更にマンドリンと呼ばれる棒状の金属が入つているので、針が普通の注射針より太い。)を伴うので、しばしば局所麻酔が使われる(もつとも、乳幼児に対するルンバールに局所麻酔を使うかどうかに関しては、前掲佐藤鑑定人は、「小児では局所麻酔が効を奏して、腰椎穿刺のための針の刺入が比較的軽度の苦痛しか伴わない筈の場合でも、一旦恐怖におののいた患者は全身の力をこめて抵抗する場合が多いし、腰椎穿刺全体の時間を長びかせ、更に恐怖を助長するという結果にもなるので小児においては局所麻酔は行わず、直接腰椎穿刺を行う場合も多い。」との意見であり、前記証人福田保俊も同様の理由で、乳幼児の場合は一般に局所麻酔を用いないと供述し、また前記証人糸賀宜三は、「局所麻酔はやつぱりやつても大きい子供ですと、痛いのは多少失減されますが、小さい子供ですと、局所麻酔をやつてもかなりあばれますから、押えることは押えます。局所麻酔はしばしば使います。少し大きい子はあんまり痛がるようなときには使います。」と供述している。本件ルンバールに局所麻酔を用いるべきであつたかどうかは後で判断する。)。

(ハ) 術中の患者の全身状態に留意すること、

固定の不手際による喉頭気管などの圧迫、血管の圧迫、嘔吐による気管の閉塞などが起ると、呼吸困難、チアノーゼなどを生じ、また、シヨツク状態による意識の低下なども稀にあり、このような事態が生じたときは、一時施術を中止する必要がある。

(ニ) 髄液の排液量を必要最少限に止めること、

薬剤を髄腔内に注入する場合は、なるべく脳圧に変動を与えないため、注入量と同量の髄液を排液する。髄液の多量の採取は脳圧の低下をまねき、頭痛、嘔吐を発現することがあり、頭蓋内圧亢進のときの髄液採取は特に慎重にすべきで、小脳扁桃が大後頭孔に陥入して延髄の呼吸中枢を圧迫し、呼吸麻痺、意識障害から死の結果をみることもある。薬剤の注入、髄液の採取ともに急激に施術してはならない。

(ホ) 一般に、ルンバールはその施術後患者が嘔吐することがあるので、食事の前後を避けて行うのが通例である。

(6)  ところで、控訴人(入院当時三才七月)は、昭和三〇年九月六日午前一〇時頃、本件病院に入院し、直ちに時田源一、福田保俊両医師の、更に小児科主任教授高津忠夫の各診断も受け、化膿性髄膜炎と診断されたが、同日午後から同月八日午前頃までは非常に重篤な状態(死亡も懸念される状態)にあつた(その症状の詳細は引用した原判決の認定参照)。そして、連日、結晶ペニシリン五万単位の髄腔内注入、結晶ペニシリン一〇万単位の筋肉注射(朝夕の二回)、水性ペニシリンゾル一五〇万単位の筋肉注射(正午頃一回)の他、さらにサイアジンを0.4グラム宛一日四回服用させるなどの治療が続けられた。このような治療の結果、控訴人の病状は同月八日午後五時頃母親を識別するようになつてから以後は次第に快方に向い、同月九日頃からは、髄液も水様透明となり、同月一一日には意識も完全に鮮明となり、熱も三七度台に下り、同月一四日には足の屈折、開指運動もよくでき、「ラリルレロ、パピプペポ」等の発音も可能となり、同月一五日頃には、顔つきもほとんど平生と変りなく、話の種類も増えて、視力薄弱もない様子で(化膿性髄膜炎は髄膜炎自体が治癒した場合にも、髄膜や脳実質に不可逆的病変を残しそれが後遺症となることがあり、その場合聾症、失明、四肢麻痺、精神薄弱、てんかんなどが残ることがある。)、同月一六日には熱も三七度前後となり、翌一七日も熱は同様で、蝉の鳴声、時計の音、水上動物園のアシカの鳴声なども聞え、遠近の物体も識別できるなど外見上の全身状態は良好であつた。

しかし他方、ケルニツヒ症候はいまだ陽性で、排便時、便器の上にまたがるときには躯幹を曲げるのを嫌がるなど、髄膜炎症状の重要なものの幾つかは残つており、熱も平熱とはいえず、不安定さもあり、また髄液の検査所見も軽快しているものの同月一五日の段階で細胞数は723を示し、健康時の103に比べ、まだ正常域にはなつていなかつた(市橋鑑定人は、控訴人の同月一七日の本件発作直前の病状を「中等症程度」といつている。)。

(7)  右のように控訴人の病状が好転したことにより、控訴人の主治医時田及び福田は、同月一六日、今後の控訴人に対する治療方針として、

(イ) 控訴人が入院した同月六日以来同月一五日まで連日実施してきたルンバールによる結晶ペニシリン五万単位の髄腔内注入を同月一六日は中止し、今後これを隔日に実施すること、

(ロ) 同月一七日からは結晶ペニシリン一〇万単位の筋肉注射(連日朝夕二回実施していたもの)を中止し、水性ペニシリンゾル一五〇万単位の筋肉注射(連日一回実施していたもの)のみとするが、これも一両日で中止すること、

(ハ) サイアジンの経口投与(連日0.4グラム宛一日四回服用させてきたもの)も同月一六日で中止することとした。

(8)  このように、時田、福田の両医師は、同月一六日、同日以後の控訴人に対する治療方針として、隔日に実施する結晶ペニシリンの髄腔内注入一本にしぼることにしたのであるが、控訴人の病状が快方に向つているにもかかわらず、なお主治医らがルンバールによるペニシリンの髄腔内注入を続けることにしたのは、一般に抗生物質療法が行われている場合には原因菌が耐性を帯びることがあり、また外見上良好に見える状態にあつても間歇性経過をたどり、再燃することも考えられ、また中等症程度の回復状態でルンバールによるペニシリンの髄腔内直接注入を中止すると、抗生物質により押えられていた残存している病原菌が再び活動することもないとはいえないし、しかも、抗生物質に対し耐性を帯びた菌が再活動するときは治療も困難となる虞れがあるからである。なお、右に関連するが、高津教授は、同月一二日の同人の回診の際、控訴人の病状の経過を良好と判断し、右の時点でなお以後もルンバールを続けるべきかどうかについては判断が困難であると感じたこと、そこで同日の回診では、主治医らにルンバールを実施しているかどうかをきくに止め、それ以上これに関して特別の指示は与えなかつたと供述している。

(9)  ところで、控訴人は、入院当初の診断で、前胸部に点状の出血斑が認められ、高津教授も入院当日の回診の際、時田、福田の両医師に対し、特に右出血斑を指摘して、髄膜炎菌敗肉症の疑もあるから警戒するよう注意した。一般に重篤な化膿性髄膜炎、特に敗血症を伴う場合には、血管の脆弱性を含む血管の障害を生じていることがまれではなく<証拠>によれば、幼児の化膿性髄膜炎が重症の場合には、脳出血を生ずることのあることが小児科学の文献等にも記載されていることがうかがわれる。)、現に本件発作後であるが昭和三〇年九月二一日、同月二三日、同年一〇月二日、同月八日の四回にわたつて控訴人の血管の強度(脆弱性)の検査のため、ルンペルレーデ現象の検査を行つたところ、右いずれにおいても控訴人の血管に出血性傾向が認められ(正確な検査結果についてはすでに引用した原判決の認定参照)、右検査結果から本件発作当時においても控訴人の血管に出血性傾向があつたと推測される。

また、髄液症(脳圧)は、正常時は臥位で四〇から一五〇ミリメートル水柱(右の値は一応<証拠>によつたが、前掲市橋鑑定人は、一二〇ミリメートル水柱以上は病的といわれているといつている。)であるところ、各種髄膜炎、脳腫瘍では特に高くなるのが一般で(脳圧亢進症状)、昭和三〇年九月九日の控訴人のそれは初圧二五〇ミリメートル水柱で正常人よりかなり高かつた(それ以後はルンバール時に控訴人が泣き叫ぶので脳圧の計測はできなかつた。)。

それに幼児が泣き叫び暴れているときには、一時的に脳圧は上昇する(前記市橋鑑定人は、脳障害のない患者で泣いている子供の脳圧が三〇〇から四〇〇位までになることはよく経験されるところであるから、子供が泣いたり暴れたりすれば二〇〇から三〇〇位は亢進するものである、といつている。)。

控訴人は、主治医により、入院以来同月一二日までは「絶対安静(面会謝絶)、あらゆる刺激を避ける様注意する。」旨指示されており、同月一三日からは「絶対安静、なるべく刺激を避ける様注意する。」と変更されたが、本件ルンバール施行当時なお絶対安静が指示されている状態であつた。

(10)  本件ルンバールを実施した福田医師は、昭和三〇年五月に医師の資格を取り、本件病院に勤務したもので、本件ルンバール施行までの医師としての経験は五か月足らずであり、本件ルンバールを実施した同年九月一七日は午後二時から同大学医学部本館大講堂で日本小児科学会東京地方会講話会が開催されることになつており、福田医師はその会場係として、映写幕を備え付けるなどの仕事があり、一時過ぎには右会場に出掛ける必要があつた。

一方控訴人は、入院当初の数日は意識混濁の状態で、筋肉注射やルンバールに対しても反応を示さなかつたが意識が回復した同月九日頃から注射時に啼泣するようになり、なにしろ注射の回数が多いため(前述したように連日筋肉注射三回とルンバール一回)、同月一三日頃からは痛みに懲りて医師を恐れ嫌うようになり、医師に体を触れさせなかつたりして、いろいろな検査も困難であつた(このことはカルテにしばしば記載してある。)。特にルンバールに対しては経過が順調で元気が出るにつれて、激しく抵抗するようになり、同月一六日ルンバールが中止されたことが翌日の本件ルンバールに対する控訴人の抵抗を一層強めたようである(控訴人に対してはルンバールの際局所麻酔が使われたことはなかつた。)。

(11)  本件ルンバールが実施された際の状況は次のとおりである。

当日、控訴人は昼食を午後〇時三〇分頃に終つたのであるが、食事中に福田医師が病室に様子を見に来て、「しまつた。食事を始めてしまつたのですか。学会があるから、これからルンバールをしたい。」旨告げ出て行つた。それから食事直後には高橋看護婦が病室に来て食事の終つたことを確めて退室したので、お手伝いの山岸由紀子は急いでお膳を病室から一五メートル位離れた配膳室にさげに行つて帰つて来ると、ほぼそれと同時位に福田医師と高橋看護婦がルンバールの器具を持つて再び病室に入つて来た。

今までルンバールの際は看護婦は二、三名が来ていたが、この日は高橋一人であつた。控訴人は、福田が入つて来たときから、ルンバールをされることを察して、「いやよ。」と言つて逃げまわるようにして暴れたが、その間福田医師は控訴人に注射器を見せないように準備し、一方控訴人に対しては、高橋看護婦がベツドの上にあがつて、控訴人の腰のあたりに馬乗りになるようにして押えつけて、ベツドの左端に背中がくるように海老のように身体を曲げさせて固定しようとしたが、控訴人は「お尻にならがまんするから」とか「おとなしくするから押えないでちようだい。」などと言つて、泣き叫びながら激しく抵抗するので、高橋一人ではなかなか固定がむつかしく、高橋は控訴人の母親三浦玉恵に頭を、お手伝いの山岸由紀子に足を押さえるよう指示して、三人がかりでようやく控訴人を固定した。このように控訴人の固定にもかなり時間をとられたうえ、福田医師は、一度で穿刺に成功せず、何度か穿刺をやりなおした(前記証人山岸由紀子、同じく控訴人法定代理人三浦玉恵は、四、五回あるいは五、六回失敗したと供述している。)。控訴人は、施術中ほとんど泣き続け、針を刺しなおされるたびに、ピクンと背中をふるわせて泣き叫んだ。福田医師が何回目かで最後に穿刺に成功したときは、控訴人はすでに抵抗する気力もはてて、ぐつたりして死んだような状態で横たわつていたが、福田医師は髄液二CCを排液し、ペニシリン五万単位を髄腔内に注入して、午後一時頃ルンバールを終つた。福田医師は試験管に取つた髄液を窓のところですかしてみて、「ちつともにごりがない。すつかり良くなりましたね。」と言つて急いで病室を出て行つた。本件ルンバールに要した時間は正確には確定できないが、右認定事実に照らし、少なくとも二〇分は要したものと推定される。なお、福田医師は体温表に同日ルンバールを実施したことを示すしるしをつけただけで、カルテにはこれを記載しないで、前記講話会の準備に出かけている(カルテには、本件ルンバールの施行は当直医の小林が記入した。)。

(13)  本件発作は、本件ルンバール実施後一五分から二〇分位たつて始まつたが(その状況については引用した原判決の認定参照)、時田医師らは、けいれん発作がおさまつた後、同日午後七時五〇分頃には、本件発作の原因として脳出血の可能性も考えられると判断し、心臓衰弱防止のためのビタカンフル等の注射や、化膿性臓膜炎の治療のための薬剤投与と平行して、カチーフ、ヘスペリン、トロンボーゲン等の血管強化剤や止血剤を使用している。

高津教授は、本件発作後はじめて回診した同月一九日、「ペニシリンの髄腔内注入での五万単位は多いです。始めの重篤な時はまあよいが、そんなに毎日続けることはなかつたでしようね。とにかく多いです。」と述べており、本件ルンバール以後は、同日髄液検査のみを目的としたルンバールが時田医師により行われたほかは全くルンバールは実施されなかつた。また、高津教授は、同月二六日の回診の際「誘因がはつきりしているのだから、なるべく平静に、皮下の注射もしない方がよい。」旨の指示をし、同日午後からは退院に至るまでほとんどすべての注射による投薬が中止された。

(二)  以上認定したところに基づき考えるに、化膿性髄膜炎においては、ルンバールによつて直接髄腔内にペニシリンを注入することは治療上有効であり、特に重篤なものについては、その必要性は高く、控訴人の病状も入院当初はきわめて重篤な状態にあつたのであるから、右の段階で右の治療方法を用いることは十分肯認できるところである。

その後控訴人は次第に重篤状態を脱し、一貴して軽快していき、本件ルンバール実施時も外見上の全身状態は良好であつたが、しかし他方ケルニツヒ症候はいまだ陽性で、排便時便器にまたがるとき躯幹を曲げるのを嫌がるなど髄膜炎症状の重要なものの幾つかは残つており髄液の検査所見もまだ正常域にはなつていなかつた。右の段階でなお控訴人の治療上ルンバールが必要であつたかどうかは一応問題とすべきである。

ルンバールは、髄液の採取、注入に当り脳圧の変動をきたすもので、必ずしも安全無害なものではなく、それ自体に前記(一)の(3)ないし(5)に記載した福作用ないし患者に対する危険を有しているのであるから、治療を行う医師は、患者の病状の経過を踏まえて、ルンバールの必要性とルンバール自体の具有する前記危険を考慮して(控訴人の場合には前記(一)の(9)に記載した事実も考慮におかれるべきである。)、これを続行するかどうかを、実施する都度慎重に判断すべきである。もつとも右の判断は極めてむつかしく、困難な決断を伴うものと思われる。特に、もともと重症の患児で外見上の一般症状は良好で軽快しつつあるものの、なお前記のような髄膜炎症状を残す控訴人の場合には、前記(一)の(8)に述べたような病変が考えられないわけではないのだから、治療に当る者として、可及的完全治癒を意図する以上、ルンバールによる治療を中止すべきであつたと断ずることはできない。

ところで、幼児にルンバールを実施するときには、幼児がルンバールを嫌い、これを逃れたいために必死に泣き叫び暴れるなどして抵抗するのが一般であり、控訴人においても九月九日頃から注射時に啼泣するようになり、同月一三日頃からは痛みに懲りて医師を恐れ嫌うようになり、特にルンバールに対しては経過が順調で元気が出るにつれて、激しく抵抗するようになつていたのであり、右のようなことからルンバールを実施することによつて控訴人の脳圧が一時亢進することは十分考えられたのであり、一方、控訴人は、入院時前胸部に点状の出血斑が認められ、重篤な化膿性髄膜炎で敗血症も疑われ、本件ルンバール施行時においてもなお治療上絶対安静が指示されていたのであり、このような患児においては、血管が全般的に脆弱となり出血性を伴う血管の障害等を生じていることも予想され、脳出血を生じた症例も知られていたのであるから、ルンバール施術に要する時間、方法等から患児に与えるルンバール施術のシヨツクが異常に大きい場合には、治療目的をこえて患児に害悪を及ぼし、場合によつては右のシヨツクが脳出血等の原因となり、患児に重大な脳障害を発生させることのあることは十分予見しえたものというべきである。

したがつて、ルンバール施術を行う医師は、前記副作用を避けるために、患児の食前、食後はさけて実施すべきであるし、患児の固定に要する員数(普通は二、三名)の看護婦を確保し、また局所麻酔の要否を検討すべきであり、ひとたび施術を開始してからも、患児の全身状態、ルンバールが患児に与えるシヨツクの程度を十分観察しつつ慎重に施術を行うべきであり、施術途中において全身状態が悪化し、またはルンバールの患児に与えるシヨツクが異常に大きくなるような場合には、本件ルンバール施行時における前記の程度のルンバールによる治療の必要性のもとでは、ただちにルンバール施術を中止すべき義務があるというべきである。

そこで、前記認定に基づき本件ルンバールの実施状況を検討するに、

(1)  一般にルンバールはその施術後患者が嘔吐することがあるので、食事の前後を避けて行うのが通例であるのに、本件ルンバールはこれを担当した福田医師が日本小児科学会東京地方講話会の会場係として、当日午後一時過ぎには出掛ける必要があつたので、控訴人が昼食を終つた午後〇時三〇分から間もなくして実施されたこと、

(2)  従前は看護婦二、三名が控訴人の固定に当つていたが、本件ルンバールの際は看護婦は高橋一人で、高橋がベツドの上にあがつて控訴人の腰のあたりに馬乗りになるようにして押えつけ固定しようとしたが、高橋一人ではなかなか固定がむつかしく、高橋の指示で三浦玉恵が頭を、山岸由紀子か足を押えて、三人がかりでようやく控訴人を固定したが、右固定にもかなり時間がかかつたこと、

(3)  福田医師は、一度で穿刺に成功せず、何度か穿刺をやりなおしたが、控訴人は施術中ほとんど泣き続け針を刺しなおされるたびに、ピクンと背中をふるわせて泣き叫んだこと、

(4)  福田医師が何回目かで最後に穿刺に成功したときは、控訴人はすでに抵抗する気力もはてて、ぐつたりして死んだような状態で横たわつていたこと、

(5)  本件ルンバールに要した時間は正確には確定できないが、少なくとも二〇分間は要したものと推定できること、

その他先に(一)の(10)及び(11)に認定した事実並びに本件ルンバール終了後一五分から二〇分後に始まつた本件発作の程度及び経過に照らせば、本件ルンバールは控訴人に対し異常に大きなシヨツクを与えたものと推測するに難くなく、控訴人の全身状態からそのシヨツクの程度を判断するのは容易であつたものというべきであり、福田医師は、少なくとも本件ルンバールの穿刺に成功するずつと以前の時点で局所麻酔等を考慮するなどして控訴人の右シヨツクの軽快をはかる処置を施すか、それが相当でないとすれば、前記悪条件下における本件ルンバールの施術を中止すべきであつたものというべきである。しかるに、同医師は本件ルンバールの施術を続行し、その結果控訴人に対し脳出血を発現させ、これにより本件発作及びその後の病変を生ぜしめたのであるから、同医師に本件ルンバール施行上の過失があつたと断ぜざるをえない。

四以上一ないし三に認定した事実によれば、被控訴人は、控訴人に対し、民法七一五条の使用者責任として、本件ルンバールの実施に起因する脳出血により控訴人がこうむつた後記五記載の損害を賠償すべき義務があることが明らかである。

五損害

(一)  <証拠>によれば、控訴人は本件事故と相当因果関係にある次の損害をこうむつたことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。なお控訴人は、このほか退院後の治療費として、自宅での光線療法のために要した費用計四万一〇〇〇円を主張しているが、<証拠>によるも右療法が控訴人の前記障害に効能があるか明らかでなく、他にこれを認めるに足りる証拠もないので、右は本件の損害と認められない。

1  本件発作後の本件病院入院費治療費及び付添看護料 三万一二五八円

<中略>なお<証拠>はいずれもクロロマイセチンの薬代金の領収書であり、右薬は明らかに化膿性髄膜炎の治療用であるから、本件事故による損害とは認められない。

2  退院後の治療費

(1) 本件病院整形外科のマツサージ代と交通費 九万七一二五円<中略>

(2) 本件病院小児科関係薬代等 三万七七五四円<中略>

(3) 低周波治療器購入費 一万八〇〇〇円<中略>

(4) 虎の門神経科龍病院関係 五万〇二五〇円<中略>

(5) 鹿教湯泉療養所 三万九四六八円<中略>

(6) 押上小牧医院(ハリ療法)関係 二万九六八〇円

(7) 荒川医師(脳性麻痺法)治療費 三万六〇〇〇円<中略>

(8) 松野氏関係治療費 四万四七〇〇円<中略>

(二)  <証拠>によれば、控訴人は本件事故と相当因果関係にある次の損害をこうむつたことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

(1)  退院後の看護人雇入費用 一七万円<中略>

(2)  逸失利益 一六一〇万四二六一円

控訴人は、本件病院に化膿性髄膜炎で入院するまでは順調に成育していたが、本件事故により前述のとおり身体的精神的障害を受け、前記退院後の治療により身体的にはいくらかの機能上の改善がみられたものの、それでも右手は麻痺が固定して全く使用できず、右足をひきずつて歩行しなければならない。また知能障害はほとんど改善がみられず、昭和三四年に小学校に入学したが全くついていくことができず、昭和三六年から江戸川養護学校の特別学級で教育を受け、更に昭和四六年からは千葉県袖ケ浦福祉センター更生園に入園しているものの、二〇才になつても赤ちやん言葉が抜けず、それも日常語がどうやら家族の者にわかる程度で、文字もひらがなを一部読めるが、ひらがなでも文章となつたものはほとんど読み、理解することはできない。また他人に対し理由もなく粗暴な振舞に出たりするので、自律的な集団生活をすることはできない状態にある。

右によれば、控訴人は今後も一般社会人としての生活を送ることは全く見込がなく、本件事故によりその労働能力を全部喪失したものというべきであり、その逸失利益の算定の方法については当裁判所は別表4記載の方法によるのが相当であると考える。<中略>

(3)  慰藉料 八〇〇万円<以下、省略>

(安岡満彦 内藤正久 堂薗守正)

別紙 損害額計算書<省略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例